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Author:noguchiizumi
野口泉
オイリュトミスト
武蔵野美術大学映像学科卒。
2002年より舞踏家笠井叡に師事、オイリュトミーを学ぶ。オイリュトミーシューレ天使館第三期及び舞台活動専門クラスを経て、愛知万博「UZUME」(2005)「高橋悠治演奏「フーガの技法とオイリュトミー」(2008、2010)、「ハヤサスラヒメ」(2012)、「蝶たちのコロナ」(2013、2014)、「毒と劔」(2015) など様々な公演に出演。放射能からいのちを守る山梨ネットワークいのち・むすびばとの共同公演「アシタノクニ」や、「きつねおくさまの!ごけっこん」(2014)、シュタイナー農法研究会(「種まきカレンダーを読み解く」)などを開催。オイリュトミーに関わるイベントを企画する「レムニスカート」を主宰。

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ブログ引っ越しました

「オイリュトミー通信箱 レムニスカート」は以下に引っ越しました。
↓↓
朝起きて夜寝る
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光の中で呼吸するように




森の中などで濃い霧が立ち込めてくるとき、不安とともにワクワクするような感じがある。


木立の隙間から光がちらちらともれ、そこに霧の濃淡がかさなると、重厚なオルガンミサ曲の響きが思い起こされる。そんな時、自分のからだも多重的な存在であることに気づく。


深呼吸をすると、霧の外では重力にしばられていたからだが、心なしかフワっと軽くなったような気がする。


そんな時、「この身体はいつまでこの形態をとどめるのだろうか。」ということを考える。
「朝には四つ足、昼には二本足、夜には三つ足で歩くものは何か?」
スフィンクスがオイディプス王にした謎かけである。


答えは「人間」。


私たちは、ずっと昔には4本の足を持ち、未来には3本の足を持つのかもしれない。


時間が未来永劫つづくとしたら、人間が現在のからだの形態を永遠に保つのは不自然だろう。


経験だけをたずさえて人間は彼岸へ渡る。それ以外のものは肉体とともに地に帰る。


霧はやがて暗い地面に吸収されるが、それまでは光を受けてかがやく。


一つのものがかたちを変えて流転しつづける。


霧の中に身をまぎらせるとき、過去のからだと未来のからだを予感する。





谷合ひろみ先生の想い出に。




『聖者たちの食卓』


インターネットを介して年末のごあいさつです。

みなさんいかがお過ごしでしょうか。
オイリュトミストの野口泉です。


さて、渋谷区で年末の炊き出しを阻止する措置が取られていますね。
どうして渋谷区はそのようなことをするのでしょうか?

渋谷区としてのメリットがそれほどあるとは思えません。
「街の景観を損ねる」との有力区民からの声でも上がったのでしょうか。
いずれにしろ不可解な出来事と言わざるを得ません。



最近「聖者たちの食卓」というドキュメンタリー映画を見ました。 


「インドには、毎日10万食の豆カレーを
ふるまうスゴいお寺がある!」


このコピーを見て、美味しそうなカレーがつぎつぎと出てくる、
コマーシャリスティックな映像を想像した私は、
期待に胸を膨らませ、映画館に駆け込みました。

しかし、そんな気持ちを軽く凌駕し、
この映画で繰り広げられたのは、想像を絶するものでした。
映画自体が奇跡の瞬間の連続だったと言っても過言ではありません。





黄金寺院<ハリマンディル・サーヒブ>では500年以上に渡り、
毎日10万人が訪れるという無料食堂がボランティアで賄われているのです。


そこで行われているのは、毎日、たんたんと祈りのように行われるさまざまな作業。

準備は早朝から。
畑にしゃがんで何万ものじゃがいもを掘り出す人たち、
無駄のない手つきでえんえんと掘り続ける。

掘り出したいもを集める人、袋に入れて口を縫う人、
腰の高さまである袋をトラックまで運ぶ人、

硫化アリルが目にしみるのは若者も年増の奥さんも同じです。
シートの上にしゃがんでひたすら玉ねぎを刻む。

にんにくの皮むき、山と積まれたにんにくをひたすらむく。
老人がむいたものを若者が集めていく。

牛からしぼってきたミルクを大鍋に移して二人で運ぶ。何往復も。
こぼさないためにはなるべく小刻みな足取りで素早く移動すること。
息を合わせて一気に運ぶ。

何万トンもの小麦粉を練る人。丸めて放り投げる人。(この作業たのしそう!)
丸めたものはすぐ小山になる。それを平たくのばす人。
チャパティがリズミカルにひっくり返されこんがり焼かれる。

どの場面でもすばらしい連携プレーが自然な形で行われている。
だれも急ぐことなく、急がせることなく。
老若男女がおもいおもいの姿勢で、自分のペースで仕事をおこなう。
無駄な人は誰一人としていないようだ。

そしてこれらの人々は、すべてボランティアなのだ。


そして、


やがて食事の時間が来る。

一回の食事を一緒に摂れるのは5,000人。人々が大広間に殺到する。
ここではどんな身分の人も同じ部屋で並んで食事をする。

10万人の食事を賄うには、1日に20回の給仕が行われる計算だ。
それに伴うまるで曲芸のような皿洗いも。。。



そして日が暮れていく。



************************


脅威のコミュニケーション


このドキュメンタリー映画を見て感じたのは、
「なぜこんなことが成り立つのだろうか?」という疑問、
そして、「もはや自分にはこのような生活は絶対にできない」というあきらめに似た確信です。


社会のオートメーション化によって私たちは幾分か「いらない存在」になったのかもしれません。
このような地に足のついた生活を、利便性と引きかえに手放した、とも言えます。

そのかわり私たちはパソコンやスマートフォンを手にしました。

電車の中ではほぼ9割方がモバイル機器を見ていますよね。
私も1日の大半をパソコンの前で過ごすことも多いです。

そんな日本現代社会のなかにいる自分が、全て手作業で10万人分の食事を作るということは、
高尾山にしか登ったことがないのにフィッツロイに挑むようなもの。
まったく現実感がありません。

各世代が相互に連携し、かつ個人の自由度も保たれたコミュニケーションを保ちながら、
何かを作り上げていくという機会は、現代日本において、永遠に失われてしまったかに見えます。





さてここで一つのお話を紹介したいと思います。


「ホレばあさん」というグリム童話です。


あるところに、
美しい働き者の娘と、みにくい怠け者の娘がいました。
みにくい娘はお母さんに可愛がられ、
美しい娘はうとまれ、いじめられていました。

ある日、美しい娘が糸巻きを追って泉に落ちてしまいます。

そこで泉の底にある世界を歩いていると、

パン焼きかまどに出会います。

中からパンが娘に呼びかけます。
「早く出しておくれ、わたしたちはもう焼き上がっているんだから」

美しい娘はパンを出してあげます。

また娘が歩き出すと、今度はりんごの木がありました。

りんごの木には実がたくさんなっていて
「この木をゆすって私たちを落としておくれ。
私たちはもう熟しているのだから。」
と、呼びかけました。

美しい娘はりんごの木をゆすって実を落とします。

しばらく歩くと、娘はホレおばあさんの家にたどり着きます。
立派に仕事を手伝い、こちらの世界に返してもらう時には、
娘のからだには黄金の雨がふりそそぎ、
その輝きは二度と娘から離れることはありませんでした。


このあと、みにくい怠け者の娘も、泉にわざと落ち、
美しい娘と同様に、パン焼きかまどとリンゴの木に出会います。

しかし、みにくい娘は、パンが焼けていても窯からパンを出さす、
リンゴの実を落とそうともしませんでした。
ホレおばあさんの家でもなまけてばかりです。

みにくい娘が地上に帰る時にはコールタールの雨がふりそそぎ、
そのねばねばは、一生取れることはなかったのです。





さて、美しい娘はパンをかまどから出し、りんごを落としますが、
それらを自分で食べません。
ほっぽらかして先へ行きます。

それではリンゴやパンは
いったい誰が食べるためのものなのでしょうか?

『メルヘンの世界感』という書籍のなかではこう解釈されています。

「これらの収穫物は、自分自身の地上(泉に落ちる前の世界)での行いの成果としての、りんごとパン
であると同時に、その食べ物は高次の存在の糧となっているのです。」

高次の存在はなんなのか、という問題は置いておき、
さて、このことを「聖者たちの食卓」でカレーを作る作業をしている人たちに当てはめてみましょう。

朝から晩までボランティアで10万食をつくる人々は、
自分のためだけの食事を作っているわけではありません。

おそらく自分の行為が現実世界だけのために行われているわけではない、という認識があるんだと思います。
そして「ホレおばあさん」の“美しい娘”はこのような認識をもった人物像として描かれています。


反対に、自分の行いがどんなものを助長しているのかに無頓着であるという意味において、渋谷区長は“みにくい娘”であると言えます。

パンが焼けていても窯からパンを出さす、実ったリンゴの実を落とそうともしない。
それらは誰にも食べられることなく、腐っていくのです。

日本では拝金主義という信仰が主流です。
多かれ少なかれ、お金がなければ老後は地獄だ、と思い込まされている。
それはインド人が来世を信じるのと同じくらいの強度でもって私たちに浸透している思想です。

しかし本当にそうでしょうか?

本当は、お金がなければ生きられない社会のほうがおかしいですよね?





この現代日本で、
誰かのためにパン焼きがまからパンを取り出し、リンゴの木をゆすることができるだろうか。

この“聖者たち”のように10万食をボランティアで賄うことはできないかもしれないが、
抽象的なことにしろ、具体的なことにしろ、できることはいろいろあるな、と思う大晦日です。



それでは来年も良い年にしましょう。
良いお年を!



【作品情報】
『聖者たちの食卓』
監督:フィリップ・ウィチュス、ヴァレリー・ベルト
2011年 65分
渋谷・アップリンクにて上映中!(2014年12月31日現在)
http://www.uplink.co.jp/movie/2014/29817

神山貞次郎さん写真集



写真は決して過去にとどまっていない。


50年前の自分、1分前の自分、毎秒毎の自分が全て、生きて存在する世界がある。


その世界は、この現実世界と交わることはないが、

何の間違いか、こちらの世界に姿をあらわすことがある。
(突然あらわれたブラックホールのように)



それがこの,
『神山貞次郎写真集 I LOVE BUTOH !』なのである!


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現代書館刊

第42回セルバンティーノ国際芸術祭へ





10月12日から22日までメキシコ、グアナファト市で行われている、セルバンティーノ国際芸術祭へ参加してきました。

作品は2012年に日本で初演された「速佐須良比売」(ハヤサスラヒメ)です。



セルバンティーノパンフ表

セルバンティーノパンフ裏


今回は初演時の大駱駝艦の4人の舞踏手に変わり、岡本優、水越朋、四戸由香、小暮香帆(敬称略)のダンサーを迎えたメキシコ・セルバンティーノ版となりました。駱駝艦舞踏手のキレと迫力とはまたちがった可憐な美しさは、萩野緑さんの衣装もあいまって、この世のものとは思えない半神半獣の形姿を現出させていました。

笠井叡先生のインタビューと稽古風景の映像をこちらで見ることができます。
公演の雰囲気が少しだけ伝わると思います。






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グアナファト市は海抜1500Mということで、舞台袖に酸素ボンベを準備しての公演。
13日から始まった現地でのリハーサルでは、空気の薄さを如実に感じ、少々本番が心配に。
しかし数日リハーサルを重ねるうちに大分慣れ、落ち着いて二日間の公演に望むことができました。



私は今年の初めに、父を(最終的には肺の9割以上に水が溜まり心臓と呼吸を圧迫する)胸膜の悪性中皮腫でなくしましたので、呼吸の苦しさは、父が通った道を追体験するようであり、むしろ嬉しい経験でもありました。

呼吸困難なんて自発的にはなかなか出来ないので、それを風光明媚なメキシコで、
しかも舞台上でできる機会を得たことに、不思議な縁と感謝の気持ちが湧き起りました。

公演本番中には、いままでにない身体、精神の自由さを感じつつも、
自分の知っている苦しさと楽しさに、まだまだ先があることが見えました。
道はつづく、、、という感覚でしょうか。



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稽古場を提供してくれたDCEA Universidad de Guanajuatoからの眺め。高いです。






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グアナファトの山々には、魔女裁判が非常に多い土地だったこともあり、ミイラが沢山眠っているそうです。こころなしか山の稜線が女性の寝姿に見えます。

グアナファト山_convert_20141023072040



2012年の初演時もそうでしたが、「ハヤサスラヒメ」の公演では、不思議なのは舞台上が地の底に感じられることです。

ハヤサスラヒメとは神道における祓戸大神(はらえどのおおかみ)のうちの一人。
祓戸大神とは、もろもろの禍事、罪、穢れを祓う神。

瀬織津比売(セオリツヒメ)がもろもろの禍事・罪・穢れを川から海へ流す 

速開都比売(ハヤアキツヒメ) が海の底で待ち構えていて、それらの禍事・罪・穢れを飲み込む 

気吹戸主(イブキドヌシ)速開津媛命がもろもろの禍事・罪・穢れを飲み込んだのを確認して根の国・底の国に息吹を放つ 

速佐須良比売(ハヤサスラヒメ)根の国・底の国に持ち込まれたもろもろの禍事・罪・穢れをさすらって失う 
(wikipedia)


今回は初演で麿赤児さんの演じられた「ハヤサスラヒメ」を笠井瑞丈さんが踊り、
私たち23人のオイリュトミストは、ハヤサスラヒメに仕える大天使(上村なおかさん)が率いる
天使軍団(とでもいったらいいのでしょうか)に扮しました。

この公演で使用されたベートーヴェンの第九全曲の内、主に第四楽章への出演です。
稽古は約半年ほど前にスタートしました。

グアナファトのホテルでリハーサル前の仮眠から目覚め、
何十もの稽古に通った夜道のことをふと思い出したことがありました。

その(稽古)時間はいったい何に捧げられていたのだろう?という思いが頭をよぎります。

昼間の時間、主に人は仕事をしています。夜は主に自由な時間です。(もちろん反対の人もいますが)
その自由な時間を私たちは稽古しているわけですが、

今回の公演だけに限らず、何十、何百もの稽古の夜が、何に捧げられていたのかが、
その昼寝のあと、何となく合点がいきました。

笠井叡先生がグアナファトでの初日のリハで、ハヤサスラヒメは悪を光に変える神であるという趣旨の話をされたことが思い出されます。

無意識だとしても自分のやっていることが何かの後おしをしていること。
昼に、夜に、自分はいったい何の後おしをしてしまっているのか。
もっと自覚的、意識的にやらなければいけない。
無意識に絶望の後押しはしたくないですから。

遮光カーテンの隙間から漏れる一筋の光が、瑞丈さん演じる「ハヤサスラヒメ」の後ろ姿に見えた、そんな午後の目覚めでした。。。





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さて、そんな地底世界のような2日間の本番公演を終え、
日程最終日には、「ハヤサスラヒメ」関係者、出演者全員で、
テオティワカン遺跡を訪れることができました。


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「月のピラミッドから望む「死者の大通り」と「太陽のピラミッド」
変わりやすい天気。テオティワカンにいた数時間の間に2度降られ、皆で雨具を求めました。


どうしてこの土地にテオティワカンがつくられたかというと、地下に洞窟があり、そこから人類が生まれたという伝説からだそうです。また、クローバー型というのは冥界の象徴であり、それを拡大したのが太陽のピラミッドであるとのことでした。


太陽のピラミッドは、登る時点から足が軽く、頂上ではあまりの気持ちよさに自然と涙が出てきてじっと佇んでいました。呼吸がとても軽く深くなり、からだが軽く、心がすみきってくるのを感じます。(←ヤバい人ではありません。みんな多かれ少なかれそんな感じだったと思います 笑)


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「太陽のピラミッド」からの眺め 




最近は、無音、という状況は、ものすごいエネルギーなんだと感じることが多いです。
無音の状態では、具体的にいくつかの音を察知している時よりも、遥かに多くの情報が空気の密集感として存在しているのを感じます。テオティワカンの太陽のピラミッド頂上は観光客でにぎわっていましたが、確かにその無音の充実感に満ちており、出来ることならいつまでもここにいたい、という思いにさせるのでした。


パワースポットにまったく興味のなかった私ですが、パワースポットっていうのは本当にあるんだな、ということを実感したので、これから機会があればぜひ巡ってみたいものです。


コーディネーターの笹本さんは何度も登るうち、最近はやっと「赤」まで感じるようになったと言ってらっしゃいました。さてその先には何色が待っているのでしょうか?!





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メキシコツアーを無事に終えることができました。みなさま、おつかれさまでした。そしてありがとうございました!



【公演概要】
「Hayasasurahime」

日時:2014年10月17~18日
開催地:メキシコ・グアナファト市 Auditorio del ,Guanajuato(グアナファト州立劇場)
パンフ中
照明:森下泰
舞台監督:ラング・クレイグヒル
衣装:萩野緑
音響:角田寛生


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コーディネーター笹本忍さん
ありがとうございました!

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